病で倒れた夫に10年以上に及ぶ、苦しい看護の日々。
そして、哀しい別れのあと、安堵の気持ちとポッカリと空いた心の穴。
そんなわたしを気遣ってか、息子が勧めてくれた陶芸の道。
当時は60歳もすでに後半、もうすぐ70歳になろうかという、
こんな年寄りが、土をこねて焼きものを作る?笑止千万!
過去に少しでも経験があれば、再挑戦という気持ちにもなるが、
陶芸なんか、雑誌やテレビで見た程度で、まったくの別世界で、別次元!
しかし、そんな半信半疑の気持ちで、まあまあ、気張らず、のんびりと。
イヤなら途中でやめても、もうこの歳では苦情や苦言、文句も言われまい!
そんな邪心満載で開いた陶芸の扉。
まあ、それは陶芸というよりも、ねんどのお遊び。
怖々と土に触れて考えて、土をひねって悩んでつぶす。
土を練り、ろくろを回し、私の手から、そのかたちが生まれて、ゆっくりと器に育つ。
その瞬間、苦しいことや悲しいことも忘れて、
時も忘れて、老いも忘れて、自分も忘れて、一心になる。
一サの名前。
「一サ」は、息子の名前(慎一)と私の名前(貞美)をあわせたもの。
土を練り、器のかたちをわたしがつくり、そのあと、息子が絵付けをします。
つまりは親子でひとつの器に向かう、創造の共同体というわけです。
一サの土と色。
備前の土を使っているので、「備前焼」ということになるのでしょうが、
備前焼は通常、土と炎の芸術といわれて、色を使うなんてことは御法度。
でも、備前の荒々しい土の質感と激しい色の躍動感が一サの挑戦です。